今日の夕方時分に、御座爪切不動尊に参拝に伺い、いつものように管理棟を抜けて本堂に目をやろうとすると、参拝道脇をトコトコと動く焦げ茶色のモフモフとした物体を発見・・・?
「???」と立ち止まっていると、上の写真右側のドラム缶脇へと歩いて消えていってしまいました・・・。
消えていった方向に行くと、こんな感じの穴が・・・!!
今となっては、その焦げ茶色のモフモフの物体が何やったんかは定かではないですが、志摩地区には空海・弘法大師伝説というのがあり、その中からこんな御座爪切不動尊の昔話を思い出したので、少しだけ・・・。
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むかしむかし、1人の僧侶が志摩の地方を巡錫(じゅんしゃく)され越賀村までお辿り着きになられた際に、とある富家に宿を貸してくれるようにとお頼みになられましたが、見すぼらしい旅僧の姿を見て聞入れてくれませんでした。
そしてまた別の一軒の家にも同じようにお頼みになりましたが、残念ながらその家でも断られてしまいました。
そのため、僧侶は、その足で越賀村のさらなる先の大山を越えて御座村においでになりました。
ここで一軒の家を訪れ、今夜一晩宿めてくれないかとお頼みになられたところ、その家の主人は、旅に疲れているその僧侶を見て、
「ご覧のとおりのあばら家ですが、お気にとめられないのならば、お寄り下さい。」
と、懇(ねもころごろ)にもてなしになりました。
僧侶は、その主人の温かいお言葉に甘え、この家に永くお泊まりになることにしました。
それから、僧侶は、山に入り滝行に励まれたり、自然石に不動明王や梵字を自らの御爪で刻まれたりするなど、精進の日々を過ごされました。
そして、御座村に滞在し始めてから長い月日が経ち、ついに僧侶はこの地を去られることになりました。
僧侶は今までの宿泊のお礼にと、
「何かお困りのことがあれば、教えてください。」
と、主人に伝えました。
すると、主人は、
「畑に土竜(もぐら)が多く出没し、大切な作物を荒らされて困りま果てていおります。何とかしてその害をお除き下さることはできませんでしょうか。」
と、お願いしました。
僧侶は、
「いとたやすき願いです。」
とて、御口のなかで何か呪文を唱えられ、
「これで明日からは、一匹の土竜(もぐら)も、この村の中には住わせないことにしたから、安心して農事に励んでください。」
と仰せられ、再び見す簿らしいお姿で、御座村を後にされました。
このことを聞き知った越賀村では、その僧侶を追って、
「私の村にももう一度おいでを願って土竜(もぐら)を退治して頂きたい!!」
と、お願いしましたが、僧侶は最後までに首を縦に振ることがなく、いずこへか御立ちになられてしまいました。
今日でも、御座と越賀を境にして、御座村では一匹も土竜(もぐら)はいないと言われています。
そして、その僧侶こそが、かの空海・弘法大使であったと、言い伝えられています
おしまい。
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と、「もぐらは住まぬ(鈴木敏雄編)」からのお話で、さらにこちらで少し手を加えさせていただきました、御座爪切不動尊の昔話の1つでした。
あとがきとしましては、ロマンはなくなってしまうかと思いますが、今となってこの昔話を振り返りますと、僧侶が呪文を唱えて土竜(もぐら)を退治したということは想像に難しく、少し疑いを持ってしまう節があります。
少し想像を膨らませませますと、当時、遣唐使として唐で水路の技術を学ばれた空海、もしくは空海が唐から日本に帰られてから御教えになられた弟子やその流派の方が、この志摩地区に訪れ、水を利用しての土竜(もぐら)を退治なされたのではないかと科学的に推測したりもできます。
当時には、御座村や越賀村の村民にはそのような技術はなく、さぞ驚きになり、崇められたのではないかと思います。
その後、密教(簡単に言いますと、文字ではなく口からの言葉で伝えられる)である真言宗の普及の普及により、読み書きができない御座村や越賀村の村民にも真言宗が信仰されるようになり、真言宗の開祖である空海・弘法大使伝説へと繋がったのではないかと思います。
そして、今の御座爪切不動尊がこの御座の地にあり、今も地元の方々からの信仰に繋がっているのではないかと・・・。
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と、少し難しいお話になってしまったかと思いますので、
写真:「弘法池のスイミー」
今日の御座爪切不動尊の弘法池の鯉です。